中谷宇吉郎 寺田物理学を継承し、雪に魅せられた科学者の人生

5月 16, 2018

中谷宇吉郎 時流の量子力学に背を向けて雪を研究

中谷宇吉郎は、石川県江沼郡片山津町(現・加賀市)出身。1962年4月11日(61歳没)

【引用ここから(雪の結晶の研究を始め、1936年(昭和11年)3月12日には大学の低温実験室にて人工雪の製作に世界で初めて成功。気象条件と結晶が形成される過程の関係を解明した。他にも凍上や着氷防止の研究など、低温科学に大きな業績を残した。)引用ここまでWikipediaから引用】

理科学研究所では寺田寅彦の弟子としてその影響を強く受けました。
電気工学の実験をしていたが、寺田寅彦に感銘し雪の研究を始めた人物です。

栄光なき天才たちという週刊ヤングジャンプ(集英社)にて理化学研究所の漫画でも知られています。漫画では科学者寺田寅彦も書かれ、中谷宇吉郎に大きな影響を与えた人物として書かれています。

中谷宇吉郎は寺田物理学を継承した人物と言えるでしょう。

【引用ここから(大聖寺町立錦城尋常高等小学校卒業後、旧制小松中学(現・石川県立小松高等学校)で寄宿舎生活を行い卒業、1922年(大正11年)、第四高等学校を卒業し東京帝国大学理学部物理学科に入学。寺田寅彦に教えを受け、実験物理学を志す。
卒業後は理化学研究所で寺田研究室の助手となった。)引用ここまでWikipediaより引用】

中谷宇吉郎は理化学研究所で寺田寅彦の助手として働いていました。

そこで量子物理学の仁科研究室の助手にバカにされ落ち込んでた所、寺田寅彦に

【引用ここから

「本流を追う事はいいことです、ただそれだけではだめです」

さらに

「寒いね中谷くん、雪だね、我々の手に触れるだけで消えてしまう、なんて儚い・・・中谷くん、この自然界は不可思議な事で謎だらけだと思わないかい?」

「世界は人知を遥かに超えている、だが我々は人間でありそれに挑むことができるんだ」

「見かけの華やかさに惑わされてはいけないよ、中谷くん」

「例えばこの儚い雪も、どっしりとした巨大な岩石も自然界はでは同じように”実在”なんだ」

「常人には感知できないかすかな波を捉えて、動物が騒ぎだし、それが巨大な地震の前触れであるかのように・・・我々もまた儚い夢のような事実に自然の理を見出すそんな物理学を作りだしていきたいね」

寺田の自然観はいよいよ鳥瞰的となり「線香花火の研究、墨流しの研究、割れ目の研究」生物を含めた全自然現象に物理学の方法を及ぼそうとした。

中谷宇吉郎は感銘を受け北海道大学に移り一生のテーマとなる”雪の研究”開始し見事に寺田物理学を継承した。引用ここまで)栄光なき天才たち週刊ヤングジャンプ(集英社)理化学研究所より引用】

中谷宇吉郎は北海道大学で、低温実験室にて人工雪の製作に世界で初めて成功し、人工雪の研究をもとに北大に低温科学研究所を設立。中谷はその主任研究員となった。

1945年、ニセコの着氷観測所を基にして農業物理研究所を発足させ、所長に就任した。「雪は天から送られた手紙である」という言葉を残しました。

北海道大学の敷地に一つの碑がたっています。六角形をかたどった大理石の碑は、雪の結晶をデザインしたものです。碑文には「人工雪誕生の地」とあります。

「雪は天から送られた手紙である」という言葉もここに残っています。

寺田寅彦からの「一番大切なことは、役に立つことだよ」という言葉を、中谷は終生大切にしていきます。

片山津は雪に大変縁が深い町です。

日本を代表する科学者の一人で、偉大な雪の研究者である中谷宇吉郎を生んだ町。

片山津には中谷宇吉郎博士の雪や氷についての研究の功績を記念し、その研究経過や成果を展示する中谷宇吉郎 雪の科学館があります。大聖寺で生まれた著名な作家で登山家の、深田久弥とともに郷土の偉人です。

寺田寅彦から「本流を追う事はいいことです、ただそれだけではだめです」といわれ、時流に流されることなく自分自身の研究に打込んだ中谷宇吉郎。

目先の華やかさではなく「自然の本流」を追う事の大切さを今も教えてくれています。