ウイリアム・ジェイムズ・サイディズ 数学史上最高の神童
はじめに 史上最高の天才と謳われた神童
1898年、アメリカで生まれたサイディズは、親からの英才教育を受け、当時から整備されていたはずの学校教育を完全に逸脱した成長を見せます。
当時から史上最高の天才と言われ、当然かのようにハーバード大学へ進学。その年齢は実に8歳。後に数学者となる数々の天才たちに頭脳で打ち勝ち、誰もが20世紀の数学界を支える天才だと期待しました。
しかし、成人してからは特に成果を挙げることはなく、長い隠遁生活を送ることとなってしまいます。
「神童の没落」とも謳われ、記事を書いたザ・ニューヨーカーを訴え勝訴するものの、それを置き土産にするかのごとく、1944年に46年の生涯を閉じました。
父親で心理学者のボリス・サイディズから英才教育
心理学者という職業柄、自らの科学的好奇心に趣くところもあったのでしょう。家庭環境という運命に翻弄され、その卓越した頭脳を社会に還元できなかった、非業の天才だといえます。
「IQ」でインターネット検索をしていた際、「史上最高の神童は誰か」という記事に辿り着き、ジョン・フォン・ノイマンなどと共に出てきたのが今回紹介するサイディズです。
科学という世界においてはノイマンほど著名な実績は残していませんが、英才教育の在り方について考えさせる好例であると思います。
8歳でハーバード大学に入学 既に7カ国語を習得
1898年、アメリカ・ニューヨークに生まれたサイディズは、心理学者であった父・ボリスの英才教育を早期から受けます。
サイディズは、1歳になる前からその類い稀なる頭脳の片鱗を見せていました。6か月で言葉を覚え、文章を発し、スプーンで食事を摂る―普通の児童よりは明らかに発育は早いはずです。
しかし、サイディズはここから加速度的に更なる成長を見せます。
3歳でタイピングを覚えたサイディズは、4歳になると何とホメロスの原書を読み始めます。
この1年間の成長は凄まじく、ここから青年期に入るまでにサイディズは卓越した成長を見せることになります。
ホメロスの原書を読んでから4年後、8歳にして彼はハーバード大学へ合格します。
こうなるまでの4年間で、サイディズはアリストテレスの論理学を習得し、心理学者であったボリスを数学の学力という面で追い越します。数学といった理科系のみならず、この時点で彼は母国語の英語をはじめ、ロシア語、フランス語、ドイツ語、アルメニア語など7か国語を習得する恐るべき語学マスターにもなっていました。
更に、サイディズ自身が開発した言語「ヴェンダーグッド語」を開発し、人工言語として世へ広めようとしています。これらを全て、一般の人が小学2年生であったはずの年齢でこなすほどの天才だったのです。
当初、ハーバード大学は、サイディズの学力を「合格」と認めていながらも「年齢」を理由に入学は拒否されます。最終的にサイディズがハーバード大学で数学を学ぶことが出来たのは、11歳のときでした。
そんな驚異のエピソードを持つサイディズは、ハーバード大学入学後も、数学教授の前で講義を行う、ロジャー・セッションズなどの当時在籍していた後の数学者に頭脳面で勝利する、などその才能は高く評価されていました。
そんなサイディズに転機が訪れたのは16歳のとき。
当時、大学を卒業していたサイディズは、大学で授業を受け持つことになりました。しかし、この講義に不満が続出。辞職をしてしまいます。
サイディズは後に、再び1人の学生としてハーバード大学のロースクールに入学しますが、これも途中で中退してしまいます。
人生に迷走したサイディズは、科学への知的好奇心を失ってしまったのでしょう。この後、彼が再び表舞台に帰ってくることはありませんでした。
青年期に数々の伝説を残し、20世紀最高の数学者としてプロスペクトであったはずのサイディズは、数学を含めた科学界で何の業績も残すことなく、第二次世界大戦で世界がヒートアップしていた1944年に、その生涯を終えることとなりました。
英才教育の在り方を投げかける材料としてのサイディズ
サイディズの死は、決して温かみを持って迎えられることはなかったでしょう。
サイディズは、「大人になってから成功しなかった人物」の代表格として挙げられ、英才教育の在り方を投げかける材料となりました。
現在では我が子に高い頭脳を獲得して欲しいと幼児教育が盛んとなっていますが、こういった世間の風潮に対する反例として残ったことは、サイディズの一番の功績なのかもしれません。
皮肉なことに、彼は数学の世界、科学の世界で影響を与えたというよりも、教育の世界で影響を与えたのではないでしょうか。
早期からの英才教育の意味、そしてそれによる精神的な弊害、社会適応の重要性、このような点をサイディズは世間に投げかけてくれたのではないでしょうか。
そしてそれが、現在の教育に少しでも反映されているとするならば、彼は教育という世界において全世界中の人々に影響を与えているのかもしれません。
サイディズは確かに科学の世界では業績を残せなかったかもしれませんが、大人になってもその頭脳が卓越していたことは事実であり、この点は素直に評価すべき点だと思います。
もしサイディズに人並みの、いや必要最低限の社会性があれば、20世紀の科学の世界に偉大なる爪痕を残し、最も人類が発展したこの100年間において、更なる進歩を導いてくれたかもしれません。