マービン・ミンスキー 人工知能の父として有名な認知科学者

4月 24, 2018

マサチュ―セッツ工科大学でコンピューター科学と人工知能研究所の前身を創設した先駆者

マービン・ミンスキーはコンピューターと認知の科学者です。1924年8月生まれで2016年1月没。

ニューヨーク生まれのユダヤ人で、アメリカ合衆国海軍の兵役についた後、ハーバード大学とプリンストン大学で数学を学びました。

その後はマサチュ―セッツ工科大学の教員で、マサチュ―セッツ工科大学のコンピューター科学と人工知能研究所の前身を創設したメンバーの中の1人です。ヘッドマウント型グラフィックディスプレイと共焦点顕微鏡の特許を持ち、ニューラルネットワークの基礎を築いた人物です。

チューリング賞の受賞者で、専門は人工知能と認知科学です。

人工知能の名付け親 AI技術に欠かせない理論を構築

マービン・ミンスキーは1927年に生まれ、フィールズトンとブロンクス、アンドーバー高校から海軍を経て、ハーバード大学物理学科へ進学し、その後プリンストン大学院数学科に進みました。

プリンストン大学で出会ったディーン・エドモンドとハーバード大学へ戻り、1951年に真空管とモーターを使用して、人間の脳細胞ニューロンを模倣したSNARCというロボットをつくりました。

この機械は、迷路を抜ける正しい路を試行錯誤して選択し学習する迷路機械でした。このSNARKの論文、自己組織化ランダムネットワークで博士号を取得しました。

このような認知科学の研究の傍ら、1957年には共焦点顕微鏡を発明しました。レンズとピンホールを両方使用することで、高解像度が得られるものでした。

1956年米国ダートマスで開かれた会議で、マービン・ミンスキーと人工知能の先端研究者たちによって、初めて人間の知的行為を現実的に技術として操作できる論理として有効に技術にするために研究されているロボットの名前が人口知能という言葉で統一されました。

1958年にマービン・ミンスキーはマサチューセッツ工科大学MITの数学を教える職につきました。ここでMITの人工知能研究所の基礎ができてきます。

1960年には、人工知能への歩みという論文を発表しています。1968年に2001年宇宙の旅の映画で人口知能HALについて監督スタンリー・キューブリックからアドバイスを求められました。この名作にマービン・ミンスキーが寄与しているのも興味深いですね。

1969年には、人工知能研究の功労者に贈られる最大の賞であるチューリング賞を受賞しています。

その後知能とはなにかを解明する研究をしていたマービン・ミンスキーは発達心理学を研究し、フレーム論理とプラグラミング言語LOGOを開発しました。このあたりの研究が、後々、AI技術の礎となっているのです。

1985年にMITメディアラボが設立し、マービン・ミンスキーは教授となり、さらに研究を継続しました。1986年に心の社会という本を出版しました。内容はマービン・ミンスキーの多才さを証明するように多岐に渡ります。

この本で、心というものが、これだけ広範にかつ深く考察されているのは、さらに優れた人工知能をつくりあげるという大きな目標があったからだと思われます。

一見やさしいと思えることでも、実際に心の中では、予期し、イメージし、計画を立てて、予測を行い、誤りの起こるのを防ぐために、何百万ものプロセスが無意識に処理されている。(同著)

理解というのは、何らかの類推(新しいことを自分がすでに知っていることに似せて表現する)によって行われている。(同著)

常識というものは、単純なものではない。逆に、常識は苦しみの末に身についた、たくさんの実用的な考えからなる巨大な社会である。(同著)

天才と呼ばれる人たちは、目に見える才能から隠れたところで、<より高い次元の>専門的なコツをこころえていて、それが彼らの学習したことを組織化し応用するのに役立っている。(同著)

現代の科学的な見方によれば、脳の中で起こるどんなことも、<人間の意志の自由>が入り込む余地などなく、「固定した決定論的な法則の集まり」か「完全にランダムな偶然の集まり」のいずれかに依存している。(同著)

新しい考えをどのように思いついたか、自分でわからない理由は、問題を解くことそのものに短期記憶が使われすぎてしまって、短期記憶自体がしたことを細かく覚えておく時間も余地もないからである。(同著)

私たちが人生で最初に身につける価値というのは、自分自身の成功や失敗ではなく、親の愛や拒絶を表すような、愛情に関連した信号の影響を受けて得られるのである。(同著)

とにかく面白いし、懐が深いです。ここまで、読むだけで頭が良くなる(と感じる)本はなかなかありません。

1990年には、人工知能分野と学問の確立と論理の提案で日本国際賞を受けています。1991年には、人口知能の国際会議IJCAI から、Award for Research Excellenceを受け、2001年にフランクリン協会から個人に贈られる科学技術賞を受けています。

2006年にはTHE EMOTION MACHINEという人間の心のうごきについての論理や考えの本を出版しています。2016年に脳出血により88歳で亡くなりました。

現在のコンピューターを考えると、1950年代から人口知能についての研究を始めたマービン・ミンスキーは人口知能の先駆者でした。

人間の脳と同じように考える働きをする機械を、技術的に再現することを研究し続け人口知能の父としてコンピューター科学で社会に貢献しました。脳出血のため88歳で永眠しました。

米国の生化学者であるアイザック・アシモフ、米国計算機科学者であり認知科学者のジョン・マカーシー、米国数学者で計算機科学者でもあり、発達心理学者のシーモア・パパート、マサチューセッツ工科大学教授ジェラルド・ジェイ・サスマンなど、研究領域の枠を越えて、一流の研究者に多大な影響を与えました。

人間が考えるということを、知能を研究するという人口知能の分野を創立した素晴らしい研究者だと驚嘆するばかりです。研究者として以外にも、音楽や哲学にも通じ、人間的にも魅力にあふれた科学者でした。