チャールズ・バベッジ 機械によるプログラム可能なコンピュータの先駆者

4月 24, 2018

日本の江戸時代にプログラム可能な計算機を発明したチャールズ・バベッジ

チャールズ・バベッジは1791年にイギリスのロンドンで生まれ、1871年に79歳で死去しました。主な業績は機械式計算機の発明です。特に解析機関と名付けた計算機ではパンチカードを用いたプログラム可能な計算機を考案しており、現代のコンピュータの先駆者といえる存在です。

チャールズ・バベッジは、計算機の開発自体は資金不足のために完成することはありませんでしたが、生涯をかけて装置の改良を続けました。

バベッジはまた、数学者ではありますが、ロンドン天文学会の設立に加ったり、計算機開発のためにヨーロッパ各地の機械加工技術を調査した結果を「機械と製造業の経済」という本にまとめベストセラーとするなど多彩な分野で活躍しました。

地元の図書館で計算科学に関する書籍を見ていた時に2009年に出版されたバベッジの伝記をみつけました。機械式の計算機なので実用にはなっていませんが、パンチカードを使ってプログラムができるなど現在のコンピュータに通じる技術がこんな時代から考えられていたのかと心に残りました。

チャールズ・バベッジは航海歴の改定作業を委託されたことで、機械式計算機を着想

バベッジは1810年から1814年にケンブリッジ大学で数学を学びましたが、当時の数学の教育内容に満足せず、卒業後は独学で数学を学び続けます。

大学で数学者としての経歴を続けたわけではありませんが、当時の友人たちとの親交はその後の科学会での活躍に大きな意味があったようです。

ケンブリッジ大学卒業後、友人の一人の紹介で王立協会の会員となり数学や天文学の研究を行い、1820年にはロンドン天文学会の設立に参加しました。

1821年にロンドン天文学会より航海歴に掲載する数表の改定作業の一部を委託され、これが最初の機械式計算機の着想に結び付きました。

当時の数表の制作は専門的な数学者が何点かを精密に計算し、表の細かな数値を専門性のない大勢の人達が単純な計算作業を分担することにより制作されていましたが、バベッジはこの単純計算の部分を機械によって行うことを目指し1822年に階差機関という計算機を考案しました。

この計算機は垂直方向の軸上に並べた歯車の回転により加減算を行うもので、原理的には手回し式のものがすでに知られていましたが、バベッジの計算機はこれを蒸気機関により自動化してより高速に計算を行うというものでした。

チャールズ・バベッジは天文学会でこの装置の構想を発表し、小規模な試作機を制作したところ英国政府からの資金援助を得られることになり本格的な開発が開始されました。

チャールズ・バベッジの着想はコンピュータそのもの

この階差機関の制作は政府資金17000ポンドとバッベジの自己資金数千ポンドを費やしてその後10年間継続されましたが、当初の予想以上に時間と資金がかさんだことと、機関の制作を請け負った工房が資金を階差機関の制作に無関係な工房の拡張に流用していたという問題もあり1832年に打ち切りになってしまいました。

バベッジは落胆したことと思われますが、階差機関の作製のためにヨーロッパ各地で調査した機械加工技術をまとめて「機械と製造業の経済」という書籍を出版しベストセラーとなりました。

階差機関を開発するなかで、単なる加減算ではなく、方程式を解く能力をもつ装置の着想を得ていたバベッジは、階差機関の制作中止後、自己資金のみで解析機関と名付けた装置の設計を開始しました。

この装置は、可動式の軸で歯車の接続関係を変更可能であり、またパンチカードを用いてデータの入力や可動軸の異動を制御できる今日のコンピュータに通じる装置でした。

この装置は大変複雑な装置でバベッジ一人の資金で実現することは困難なものだったので、装置の原理や様々な工夫をまとめた「計算機械の数学的能力について」という論文を1986年に発表し広く一般にこの原理が発展できるように努めました。

100年先を行ったチャールズ・バベッジの研究

妻や子供の多くを早くに亡くしたバッベジは友人と一人残されていた息子に見守られる中、79歳で亡くなりました。

歴史に残る業績は機械計算機だけと思われますが、計算機のためのアイディアは当時の科学界で広く活用されていたようで、副産物が広く産業界に貢献しているとスミソニアン研究所長から追悼されています。

機械による計算機はその後も多くの人に検討されましたが実用的なものは達成されず、本格的なコンピュータの実現は電子素子の登場を待たなければなりませんでした。

1991年にロンドン科学博物館のバベッジ記念事業の一環としてバベッジの設計に基づく階差機関制作され、動作することが確認されています。

スウェーデンの実業家ペール・シュウツやマルティン・ヴィーベリが階差機関を製作し実用化しましたが、手廻し計算機も改良されて精度が上がっていたため商業的には失敗でした。

電子的コンピュータの開発者がバベッジの成果をどの程度参考にしたかは不明ですが、プログラム可能な計算機の開発を進める上で大きな道標になったものと思われます。

裕福な家庭に生まれたとはいえ、巨額の費用がかかる計算機の開発に私費も投じて果敢に挑戦し、生涯にわたり解析機関改良のアイデアを出し続けた姿勢は大変立派な人物と思います。

また、実現不可能な夢におぼれていたわけではなく、学会の活動で多くの人々と交流するとともに、灯台の光点滅制御方式などの実際的な成果も出しています。

今後もっと評価されていい科学者ではないでしょうか。