伝説の数学者 レオンハルト・オイラー その業績とは? 

4月 25, 2018

はじめに この数学者の評価をできる人なんているのか?

数学者、レオンハルト・オイラーは年間平均800枚の論文を発表していたと言われています。これは普通の数学者が一生かかる量です。彼はそれを毎年、50年以上も続けていました。まさに呼吸をするかように数学を吐き出してきた伝説の数学者レオンハルト・オイラー。

全盛期には8×8桁の暗算が2秒で楽にできたとか、ある問題に数秒で解答したが便利な定理を使ったのではなく「全パターン算出して足し合わせた」とか、30分で論文を書き上げ完成のスピードに印刷機が追いつかないとか、とんでもない伝説的なエピソードを数多く残しています。

またオイラーは59歳で全盲になります。しかし、そのほうが数学に集中できたといいます。そして76歳で没するまでの17年間も変わらない量の論文を生み出しました。全盲の間は計算は全て頭の中だけで行っていたわけですから、その暗算能力は計り知れません。

さらには1907年から刊行が始まったオイラー全集。これがまたとんでもないもので、既に70巻を越えるものの、100年以上かかっても未だに完結していません。論文は、刊行部分だけで5万枚を越えています。その膨大な業績ゆえに、新たに発見された公式が実はオイラーの発見の再発見に過ぎないということがしばしば起きています。

表題の答えは「誰も評価できない」し「誰も全てを理解できない」です。生涯の5万枚以上におよぶ論文を読んで理解するだけでも、それは常人も数学者にも不可能といえるでしょう。ただし「利用」は可能です。また現代数学でも利用しています。高校生が普通に習う内容に、彼の業績はたっぷり利用されています。

オイラー現在使われている数学記号の殆ど(πやSinθ、Cosθなど)を作った(または過去の概念を新しく記号化した)人物です。数学に苦手意識のある人は、彼のせいで苦しんだのかと恨んでもいいと思います。

わたしたちにもできそうなのは、彼を「天才」という称号で祭り上げて、利用するところは利用して、全体像は自分とは関わりのない部屋に隔離してしまうことだけでしょう。

オイラーの名を冠した数学用語、物理用語の数々

すなわち彼の論文は、量だけではなく、質も高いものでした。その証拠に、数々の数学用語や物理用語に今もオイラーの名前が数多く残っています。

世界一美しい数式とされる、オイラーの公式をはじめ、オイラーの名を冠したものは、オイラーの等式、数論におけるオイラーの定理、微分幾何学におけるオイラーの定理、平面幾何学におけるオイラーの定理、ゴールドバッハ・オイラーの定理、オイラー予想、バーゼル問題#オイラーの解法、オイラー積分、オイラー=ラグランジュ方程式、オイラーの運動方程式、オイラーのコマ、オイラー力、オイラー角、オイラー法(‥‥20項目くらい続く)

本当の天才が現れるのは、数学と音楽だけと言われます。オイラーは。音楽で言えば、バッハの緻密さとモーツァルトの多産性とベートーベンの破壊力わ合わせたような存在と言えるでしょうか。

伝説の数学者 評価も完全な理解もできないなら、生涯を記してみましょう

それではと思って、生涯を調べてみました。結果はざっくり言えば大学で数学や物理の研究をしていました、で終わってしまいます。

まとめとして

物理学・力学を、数式化したことが、オイラーの最大の業績ではないでしょうか。いや、まだまだ未発表、未発見の論文があるかもしれない現時点で、早計に業績を語るのはおかしいかも知れませんが。

まず、ニュートン力学の基本公式を初めて数式として書き下したのはオイラーでした。生前のニュートンはその発見・業績の全てを幾何の言葉で述べていたのでした。ニュートンの死後、オイラーはニュートンの物理学を幾何から数学的解析に翻訳し、その道具を手に、次々と物理の問題を解決していきました。

これが大きなきっかけとなり、変分法、剛体力学、流体力学、音響学、航海術、船舶の設計。さらに大変な、とても難解な式変形を必要とする月の運動の理論、今で言う三体問題(太陽と地球と月)、に史上初めて計算可能な近似解を与えたのは、視力を失った後のオイラーだったのです。おそろしく複雑な計算を全て暗算で行ったのでした。

このような数理物理学のほか、解析学、数論、幾何学、関数概念の導入などなど、大半の数学的分野に大きな足跡を残しています。

稚拙なたとえ話で締めくくりましょう。アルプスでは明治期にいろいろな人が初登頂して、いろいろなコースを切り開きました。わたしたちは現代、そのルートを利用して、比較的安全にそして楽に登山することができます。これは何百人もの人が長い年月をかけて、様々なルートを拓き地図を作り上げたおかげです。

数学において、その何百人に相当する大偉業を、たったひとりでできた人、それが大天才レオンハルト・オイラーだったと言えるでしょう。