ポンスレ 牢獄で生まれた射影幾何学 忘却が財産に?

11月 10, 2017

はじめに ジャン=ヴィクトル・ポンスレについて

ジャン=ヴィクトル・ポンスレは、1788年にフランスのメスで生まれた数学者、工学者で、射影幾何学の発展に貢献した人物です(1867年12月22日にパリで亡くなりました)。

幾何学を新たな視点で捕えなおすことにより、図形に関する定理の数を従来の2倍にまで増やしたと言われています。ナポレオンのロシア遠征に従軍した彼は、運悪くロシア軍の捕虜となり収容所に入れられてしまいますが、そこで研究に没頭し、図形の双対性に着目した数々の定理を生み出しました。

中でも有名な定理として、彼の名を冠した「ポンスレの閉形定理」があります。数学だけでなく力学、工学の分野でも多くの業績を残しています。

双対性に着目して従来の幾何学を再構築

双対性というのは、大学の数学(線形代数学)で初めて出てくる概念です。中学、高校数学で出てくる対称性の概念を、さらに押し進めて一般化したものと言えばイメージがわくでしょうか。

お互いに相手を補完しあって、一対で全体を構成する。表と裏、男と女、昼と夜のような関係とも言えるでしょう。この双対性に着目して従来の幾何学を再構築したのがポンスレです。

波乱に満ちたポンスレの生涯

ポンスレは、1788年に弁護士で大地主でもあった父のもとに生まれました。

パリのエコール・ポリテクニクに入学後、ガスパール・モンジュに師事し、幾何学の基礎を身につけます。

1810年に故郷メスの工兵学校に入学。1812年に、かの有名なナポレオン1世のロシア遠征に将校として従軍します。

みなさん御存知の通り、このロシア遠征は大失敗に終わるのですが、ポンスレもクラスノイの戦いでロシア軍の捕虜になってしまい、ボルガ河畔にあるサラトフの収容所に収監される憂き目にあいます。

2年間にわたる収容所ぐらしでは、満足な資料、論文にふれることもできなかったことでしょうが、そのような境遇にもめげず孤独の中でひたすら射影幾何学の研究にいそしみます。

1814年にフランスへ帰ると、収容所時代に研究した成果を1822年の著作「図形の射影的性質の研究」で発表し、19世紀の数学(特に抽象性の高い幾何学)の発展に大きく貢献することとなります。

1824年にはエコール・ポリテクニクの力学の教授に就任。1826年には、現在も水力発電で利用されているフランシス水車の設計を発表しています。

1829年の著作の中では、力学で使われる「仕事」「運動エネルギー」といった概念を定義、導入し、力学的エネルギー保存則につながる議論を展開する等、工学者としても輝かしい業績を残しています。かつてフランスで使われた仕事率の単位ポンスレは、彼のこの業績に由来するものです。

数学者というよりも工学者として名声を博することとなったポンスレは、1838年にパリ大学(ソルボンヌ)の教授に任命され、1848年にはエコール・ポリテクニクの校長を務めるにいたりますが、数学への思いを断ち切ることができませんでした。

1850年に職を辞したポンスレは余生を数学研究にささげ、1822年初版の「図形の射影的性質の研究」を1862年から1864年の間に加筆、改版していきます。彼の人生の集大成がここに完成することとなりました。

数学界におけるポンスレの最大の貢献とは

数学界におけるポンスレの最大の貢献は、微積分学の発展の陰に隠れ当時はマイナーな分野とすら考えられていた幾何学に双対性の概念を持ち込み、射影幾何学という数学の一分野にまで昇華させたことにつきるでしょう。

大学の教授職を得た分野は力学であったこと等、同時代人からは工学者としての評価が目立つポンスレですが、数学者として後代に与えた影響を鑑みるに、射影幾何学の創始者と呼ぶのがふさわしいと思われます。

フランスの象徴ともいえるエッフェル塔には、母国の科学発展に貢献した72人の名前が刻まれていますが、ラグランジュ、ラプラス、コーシー等、そうそうたる数学者とともにポンスレの名前も刻まれているのです。

ポンスレの射影幾何学の着想は、透視図法を考案したモンジュに師事したことから大きな影響を受けたと考えられます。

また、ポンスレの業績を基礎として、シュタイナーは二次曲線(曲面)を射影的に扱う方法を提示しました。射影幾何学にさらに座標の概念を持ち込むことで、メビウスは解析幾何学を作り上げることができました。

牢獄暮らしこそポンスレの原点

収容所の孤独の中で射影幾何学を築いたポンスレですが、長い牢獄ぐらしのうちに、それまで学習した細かな数学の定理をほとんど忘れてしまったそうです。

逆説的ではありますが、このことが射影幾何学の構築に好影響を与えたのではないかと私は考えます。射影幾何学は、それまでの具体的な幾何学とは異なり、双対性等のより上位のメタな概念に基礎をおいています。

図形に関する瑣末な知識がそぎ落とされることで、より根源的な性質だけに着目することができた。その結果生まれたのが射影幾何学だったのではないでしょうか。

人間万事塞翁が馬、そんなポンスレの人生を、本稿ではご紹介しました。