ラマヌジャン/女神に愛された夭折の天才数学者

11月 9, 2017

不思議な直感で様々な公式を生み出した天才数学者

「シュリニヴァーサ・アイヤンガー・ラマヌジャン(通称ラマヌジャン)」は1887年、当時イギリス領だったインドに生まれ1920年に32歳で夭折した、希代の天才数学者です。

幼い頃から数学に強い関心を持ち、バラモン(カースト制度の最も高い地位階級)生まれだったことから奨学金を得て、大学に入ることが出来ました。

しかし、あまりに数学に没頭しすぎたため他の授業に全く出席しなくなり、結果、2度も落第し奨学金も打ち切られ、結局学位も取れないまま退学してしまうのですが…。天才と呼ばれる人々はそういうものかもしれません。

ラマヌジャンは誤解を恐れずに言うと数学の独学者でありつまり素人です。しかし、素人の参入が自由にできないとき、その学問は内に閉じこもりやがて廃れます。
そんな素人の独りであるラマヌジャンの生み出した(しかも証明も終えていない)3254個の公式や定理は、現代の数学界に今も異常なまでに強いエネルギーを注ぎ続けています。

夭折の天才数学者ラマヌジャン その波乱の人生

ラマヌジャンは1887年、南インドのタミル・ナードゥ州タンジャーヴール県のクンバコナムにて誕生しました。

ラマヌジャン15歳のときに 数学者G.S.Carrの「純粋数学要覧」という書物に出会うことで彼の運命が動き出します。それは大学レベルの内容の数学の定理や公式の手引き書で証明などはほとんど書かれていないものでした。

ラマヌジャンはそれをパズルでも解くかのように独自の方法で理解していきました。そればかりか、この書物をベースに、膨大なオリジナルの公式や定理を発見していき、それを書き留めていきました。

1906年 学位認定試験にて1度目の落第をします。そして1907年 2度目の落第で奨学金が打ち切られてしまい退学に追い込まれます。その後は独学で勉強しながら湾岸事務所の事務員として働くことになりました。

その間理解ある上司や周りの人間の協力もあり、職務後も職場で数学の研究することを許されたそうです。

1913年 周囲の後押しもありイギリスの著名な教授たちに研究成果を記した手紙を出すものの、彼の出自(大学教育を受けてない、インド人である、学位を持っていない等々)の影響もあり手紙を送った教授達からは認められることはありませんでした。

しかしケンブリッジ大学の数学研究者ハーディーが、送られた手紙を偶然手にしました。ラマヌジャンの研究成果を読み進めると、いくつか間違っているものや既に発表済みの物などが含まれていました。しかし、自分でも正しいかどうか即断できない極めてレベルの高い内容などが手紙に書かれていることから、ラマヌジャンの天才を確信して。強い興味を持ち、彼をイギリスに招くことにしました。

1914年 ラマヌジャンは妻をインドに残しイギリスへ渡ります。

渡英後しばらくしてイギリスが戦争に巻き込まれ食糧不足になり、その影響などから栄養失調にかかります。菜食主義者だったラマヌジャンには戦時下のイギリスでの野菜不足が災いして、病を患ったのでしょう。しかし体調がどれだけ崩れても、数学に対する熱意は変わらず帰国までに40もの論文を残したそうです。

1919年には幾分か体調が良くなったことを契機にインドへ帰国します。しかし翌年1920年、妻と1年程過ごすも病状が悪化。32歳という短い生涯を終えました。

彼の能力は当時としては群を抜いており、彼がもっと長く生きていれば現在の数学界が大きく変わったであろうことは想像に難くないでしょう。

彼が26歳までに発見した様々な定理や公式は、彼が証明を付随させなかったため、数多くの数学者の協力などがあっても証明には長い時間を要し、1997年になってようやくその一部が完了したとのことです。

彼の才能を見いだし渡英をうながしたケンブリッジ大学の「ゴッドフレイ・ハロルド・ハーディ」氏は、彼の帰国後も高く評価し、自分の数学者としての点数を25点、彼を100点と称し非常に尊敬していたそうです。

最後に

彼の生み出した成果は量子コンピューターのようで興味深いという説明で、この項を終わります。

彼の公式や定理は「普通のコンピューターの解のように必ず正しい」わけではなく「量子コンピューターの様に細部は一致しないが実用的に非常に使える解」を出すという特徴があります。

数学というと必ず正しい答えが出るところに意味があると思われがちですが、現実世界で利用する際「正確でなくても短時間でより正解に近い解が求められる方法」が欲しいという事が往々にしてあるものです。

彼の生み出した定理が我々が今求めている量子コンピューターの様な解を生み出していた、というところは非常に面白いことだと思います。

これは、彼がどうしてその数式を考え出したのかと問われても、自分でもわからず、「昨夜女神が降りてきた」としか言えなかったことと、何か関係があるように思えてなりません。